群馬県立吉井高校:『小論文チャレンジノート』を用いたAL実践例

群馬県立吉井高校は、総合学科として16年が経過している学校です。

近年、大学・短大への進学率が増加しており、平成27年度から2年間、「実社会との接点を重視した課題解決型プログラムに係る実践研究」に指定されています。

今回は、そこでの取り組みの一環として行われた、アクティブ・ラーニングの視点による授業実践をご紹介したいと思います。

Yoshii high school

【目次】

1.学校紹介
2.指導のねらい
3.使用教材
4.授業展開
5.生徒さんの様子


【お話をうかがった先生】

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国語科 大山 仁 先生。

教職歴34年(本校赴任10年目)。本校では保健主事・生徒指導主事・学年主任などを行い、現在は図書係(司書教諭)。



1.学校紹介

――本日はよろしくお願いいたします。さっそくですが、まずは御校のご紹介からお願いいたします。



大山先生:群馬県の高崎市南部に位置する吉井町にある吉井高校は、1975年に全日制普通科の学校として開校しました。2000年に総合学科に衣替えをし、現在は各学年4クラスです。

卒業生の進路状況は、地元企業を中心とした就職者が約25%、専門学校進学者が約35%、短大を含む大学進学者が約40%です。多彩な科目選択を生徒に保証していることや、芸術科目を中心に一講座あたりの受講者が比較的少ないことなどが、本校における総合学科のメリットです。部活動も盛んです。

2015年度、当時の校長の肝煎りにより文科省指定事業「実社会との接点を重視した課題解決型学習プログラムに係る実践研究」があり、続く2016・2017年度には「教科等の本質的な学びを踏まえたアクティブ・ラーニングの視点からの学習・指導方法の改善に関する実践研究」の指定を受けています。



2.指導のねらい

――続いて、今回の指導実践についてお伺いさせてください。アクティブ・ラーニングの視点から授業改善を行うというのがもともとの学校全体の目標だったのかと存じますが、その実践例として、先生ご担当教科の国語ではなく、小論文の学習を取り上げられたのはどうしてだったのでしょうか。



大山先生:今回紹介するのは、私の2016年度の授業実践のひとつです。当時は3年生を担当していましたが、比較的自由な授業展開が可能な科目での、さまざまな進路希望を持つ生徒の小論文学習がこの実践のねらいです。あくまで、国語学習の一環として進路対策の要素を入れた取り組みであり、はじめから「アクティブ・ラーニング(以下ALと略)の視点云々」を意識したものというわけではありません。そもそも、ALという言葉や授業の方法ばかりが喧伝されている昨今の学校現場の状況に対して、教員や生徒のアクティブな思考が必ずしも充分に伴わない故の空々しさを覚えているところです。

――のっけから厳しいご指摘ですね…。しかし、きっかけはどうあれ、最終的に実践研究の成果として位置づけられたのは、先生のご実践がALの授業展開を考えるうえで非常に示唆に富むものであったからなのかと推察いたします。これからお話をお伺いできるのが楽しみです!



3.使用教材

小論文チャレンジノートvol.3
⇒3年次9月に、学校設定科目の「国語コミュニケーション①」で使用。全3コマ。



4.授業展開

――それでは実際のご指導の流れについて伺います。全3コマでの授業とお聞きしておりますが、それぞれ、どのような授業展開だったのでしょうか。


大山先生:おおよその授業の流れと生徒の学習内容は次の通りです。


■第1時 ~小論文課題と新聞記事から知識を習得し、問題意識を共有する~

大山先生:最初は『チャレンジノート』の設問指示に従い、問題文の読解と要約文の作成を行いました。要約文は空欄補充によるものです。ここまでで課題文の内容をざっとつかみ、この設問のテーマである「夫婦別姓(課題文では「夫婦別氏」と記載)」について理解を深めていきました。
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(クリックして拡大。2016年度版『小論文チャレンジノート vol.3』夫婦別姓のページ)
具体的には、「夫婦別姓」に関する新聞記事数編を読解して、基本的知識の学習と問題意識の共有を図りました。その後、小論文作成のための「構成メモ」を作成しました。実際の400字小論文は次時までの宿題としました。
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(クリックして拡大。第1時で使用された新聞記事。著作権の関係上、不鮮明な画像にさせていただいております)


――新聞記事は先生が集められたのですか? 論点の確認など、準備も大変そうですね。



大山先生:新聞記事については、生徒に提示するタイミングや分量の工夫、つまり、彼らの自由な思考を助けるための配慮が必要だと考えます。そして、なにより多様な意見が取り上げられていることがポイントです。そのために、記事選択には充分配慮をしていますが、私はこの点で、インターネットのありがたみを日々痛感しています。私がよく利用するのは、「朝日Teacher’sメール」という朝日新聞のウェブページです。会員登録をしておくと、校種・教科・単元・カテゴリー毎に集められた関連記事のPDFデータが利用できます。朝日新聞に限らず各新聞社では、NIE(Newspaper in Educationの略)やCSR(Corporate Social Responsibilityの略)の観点から同様のサービスを行っていることが多く、今後さらに多くの学校現場で新聞の活用が図られることが期待されます。


■第2時 ~意見交流により、視野を広げる~

大山先生:前時の宿題で、生徒たちは400字小論文を書き上げてきています。設問は「夫婦別姓について」なので、小論文の結論はほぼ「賛成」「反対」に分かれます。この立場の違いによって班分けを行いました。

賛成派(21人中16人)が圧倒的に多かったので、班の人数を均等にするため、「賛成A班(6人)」「賛成B班(5人)」「賛成C班(5人)」「反対班(5人)」の計4班としました。ちなみに、賛成派の班分けは指名カード(私が授業で使用している生徒全員の名前が入ったカード)による抽選で行いました。


――「抽選」としたのは何か意図があったのでしょうか?生徒さんへの特別な配慮の必要があったのですか?



大山先生:特に意図や配慮はありません。彼ら21人は、系列による選択科目の関係で、2年次から同一メンバーで授業を受けることが多く(私の担当していた科目だけでも2年次週8時間、3年次週6時間)、互いの性情や資質などをよく承知しています。したがって、班編制ではできるだけなれ合いの雰囲気を排し多少の緊張感を醸すために、こんなことをよくしています。

まず班別に各自が作成した小論文を交換し合い、意見交流を深めさせました。そして、次の時間には「選択的夫婦別姓制度の是非を巡る大討論会」を行うことを予告し、発表者を中心にそれぞれの主張の補強をこの時間内でしておくことを指示しました。その際、対論への反駁を顧慮しながら立論することも付け加えておきました。

――「対論への反駁への顧慮」とは、この『小論文チャレンジノートvol.3』の学習項目のひとつである「反論への顧慮」のことですね。授業で取り扱っていただき、感謝申し上げます。



大山先生:今回の場合、対論があることははっきりしているので、それを念頭に置いて自分たちの主張を述べる必要があります。また、どんな場合も、独りよがりの放言で終わりにせず、説得力を意識しながら主張することは大切なことだと考えます。さらに、単に反駁のための反駁ではなく、相手の視点に立って物事を考えることで、新たに見えてくるものがあることを生徒たちにわかってもらいたいと思っています。


■第3時 ~討論会の実施。議論を深め、その成果を認識する~

大山先生:本時は「選択的夫婦別姓制度の是非を巡る大討論会」を実施しました。じゃんけんで発表順を決め、順次各班の主張を述べていきます。すべての班の主張の後で質疑応答を行い、その後に反論・反駁を互いに行わせることにしました。

ただし、いわゆるディベートとは異なり、評者による判定は行いませんでした。賛成反対双方の主張に一長一短があることと、今後に残る課題を明確にした時点で終結としました。

その際、教科担当より2015年12月に出された、民法の夫婦同姓規定を合憲とする最高裁判決に関する新聞記事を紹介しました。これによって、判決の骨子と原告をはじめとする各界の反応、各政党の立場について解説し、現状の問題認識を深めることとしました。奇しくも(!)この夫婦同姓規定合憲判決を生徒たちは全く知りませんでしたが、生徒たちの議論と最高裁判事による審議内容には重なる部分が多く見られ、最高裁並み(?)に議論の深化が図られたことは素晴らしいことと感じました。

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(クリックして拡大。第3時で使用された新聞記事。著作権の関係上、不鮮明な画像にさせていただいております)

大山先生:以上が大まかな流れです。中立的な立場から集団の活動を促すファシリテーターに徹するつもりで、私はこの学習に臨みました。高みの見物というわけではありませんが、下地となる情報提供や基本的な理解を図ったあとは、できるだけ口を挟まないようにしました。とはいうものの、当初は議論の行方が予測できない不安や「全員終始沈黙の恐怖」もありました。しかし、第1時に生徒の書いている「構成メモ」を覗いた時点で、不安は消えました。生徒たちもなかなかやるものです。


――賛否をめぐる議論においては「ディベート」形式で主張をたたかわせることも多いと思いますが、今回敢えてディベート形式にされなかったのは、どうしてなのでしょうか。



大山先生:とりたてて深い意味はないのですが、あえて挙げれば、私自身が勝敗をゴールに定めた議論に少し違和感があることと、先ほど挙げたような「反駁のための反駁」に空しさを感じるから、ということでしょうか。相手を力でねじ伏せるような議論には、自然と身が引けてしまうということかもしれません。ただ、さまざまな状況の中で自らの主張をきちんと相手に伝えようとする意欲と態度は持ち続けてほしいと考えます。



5.生徒さんの様子

――授業内容について、くわしくご説明くださいまして、ありがとうございました。意見表明を実施する、と先生が話されたときの、生徒さんの反応はどのようなものだったのでしょうか?盛り上がったのでしょうか、それとも恥ずかしい、荷が重いといった雰囲気になったのでしょうか。



大山先生:どのような学習でも自らの考えを他者に伝える場面では、多少の戸惑いや不安の表情が多くの生徒の顔に浮かびます。これは課題の難易に関わりません。意見の表明や内心の吐露に後ずさりしてしまう心情は、誰にでもあると思います。さらに、自信のない者にとって他者の前に自らをさらすことは、大変な勇気と決断が必要です。その心の動きに配慮しながら、誰もが意見を共有しあえる状況を作ることが肝要と考えます。

AL推進にあたりペアワークやグループワークこそがALの王道との認識が広まっているように思いますが、それには疑問を持たざるを得ません。つまり、グループワークは意見共有の一手段にすぎず、他の方法でも意見が共有できれば良いのではないかと考えます。一つの形式や手段にこだわる思考には、アクティブの要素は皆無です。

今回の実践では、第2・3時にグループワークを取り入れましたが、ポイントは第1時だと思っています。提供された情報や自らの体験をもとにして組み立てた自らの意見を磨き込むことで、それ以降の意見共有に資する基盤ができあがります。あとはどれだけ他者の意見に耳を貸せるかですが、そういう状態になるには問題に対する深い理解と他者への配慮は欠かせません。そのことについても生徒に気づいてほしいと考えます。


――今回の学習を通して、生徒さんに変化はありましたか?夫婦別姓制度について考察を深められたということはもちろん挙げられるでしょうが、小論文の内容をもとにした意見交流や、反駁を意識しながら自説を主張するという活動も、生徒さんの内面によい影響を与えるのではないかと想像します。その点について、生徒さんのご様子を教えていただけないでしょうか。



大山先生:この3時間の学習での生徒の変化を具体的に挙げるのは難しいことです。一年間の学習を通じての変化でさえ、顕現化できるものはそう多くないと思います。実は、シラバスなどでの目指すべき目標として「読解力・思考力の向上」や「コミュニケーション能力の向上」を挙げることが私自身多いのですが、それを数値化したり指標化したりするノウハウを私は持ちません。生徒の変化の様子を感覚的・断片的に語ることはできますが、今後の改善に資するための基準やデータを示すことはできません。

言い訳がましくなりますが、2016年8月に静岡で行われた貴社主催の小論文指導に関する研修会に参加した折、講師の野矢茂樹先生がおっしゃっていた「思考力を評価するのは、できるはずもないこと。もしそれを高校の先生が求められているとしたら、ご愁傷様というしかない。因果な仕事だと思ってください。知り合いには、生徒の発言回数(内容は不問)で評価をしている人がいる。冗談のような本当の話。評価とはその程度のもの。どだい無理なことをことさら求める体制には問題あり。」との言葉が頭をよぎります。「論理は思考を助ける」というテーマでのお話のあとの質疑時間のご発言ですが、思わず快哉を叫びたくなるほど心に染み入りました。「評価とはその程度のもの」との認識が重要だと強く感じます。

ところで、最近学校では、目に見える成果を確認(?)するためか、さまざまな場面での評価が行われています。学期末や学年末の学習成績はいうまでもありませんが、生徒による授業評価や管理職による教職員の人事評価、第三者による学校評価などです。評価基準や評価項目も多岐にわたりますが、それらがどのような意図で作成されその結果がどのように分析され活用されているのか、私には疑問があります。

ちょっと脱線してしまいましたが、生徒自身がつまらぬ評価を気にせず自由闊達に思考し表現する姿を見たいと願い、毎時間わずかずつですがそれが実現していることを頼もしく感じています。


――なるほど。つい、具体的な「成果」を知りたいと考えてしまい、お恥ずかしい限りです…。



大山先生:成果としては彼らの主張を読んでいただくのが一番だと思います。各人の主張をダイジェストしたものを作りましたので、その一部ですがご覧ください。


(以下、先生からご紹介いただいた、生徒さんの主張まとめです)

賛成

☆夫婦同姓は女性にとって多くの負担となっている。登録情報の変更や、キャリアの積み直しとなる。男女が平等によりよく社会で活躍し、キャリアを積んでいける環境が求められる。
☆現状では、男女共に名字を一つしか持てないことが問題だ。別氏も良いが、仕事の時にだけ使う名字を選択できれば良いと思う。夫婦別姓と言うより名字を二つ持つことで様々な問題を解決できる。
☆夫婦別姓は個人の社会的利益を守ることだけでなく、個人の尊重につながる。女性の社会進出や負担の軽減にもつながると思う。姓が違っても絆が弱まることはない。
☆女性の社会進出を最優先に考えるべきだ。私も将来この問題に直面するかもしれません。その時は、女性のキャリアを考えて、お互いが納得行くような選択をしたいと思います。
☆日本の社会は時代の流れと共に変化する社会です。その社会に適応してゆくためにも、伝統よりも時代に適応し利益を得ることの方を優先してゆく必要があると考えます。家族の絆は姓が異なってもその人の意識次第で築くことができる、と孫の私と姓の異なる祖父母から感じました。
☆夫婦別姓は、女性の社会進出に利点がある。女性の働く場が増え、社会全体にも安定した状況ができる。名前が変わらないことは、女性の個人の尊厳を守ることにつながるだろう。
☆女性の選択権が守られることは、女性個人の尊重につながる。私の名字は全国でも珍しい。夫婦が同性であることを定められると、夫の名字になる風潮の中で、継承がしづらいと思う。長男と長女の結婚に悩まされるのは悲しいことだ。
☆夫婦同姓は家族としての絆を確かなものにするだろうが、夫婦別姓をとっている国でも日本に比べて離婚率が低いというわけではない。多くの女性が進出し活躍できることが重要だと考える。
☆夫婦別姓として、子どもに関しては中学まで仮の名字とし、そこから先は親のどちらかの名字を選ぶことにすれば良いと思う。
☆今までの日本では、姓に関して選択の自由さえも許されていない。夫婦かくあるべきという言葉で抑えられた人の悲しさを誰が理解できるだろうか。国の古い価値観で大切な将来を崩されてしまう人々がいる中、この選択がいかに大切なことかわからないのだろうか。自分の意志で決められる権利をわざわざ捨てたあの最高裁判決には、納得してはいけないものがあると思う。

反対

☆一人ひとりの理解がきちんとしていない限り、別姓にすることによる弊害が生じることが、反対の理由だ。例えば、夫婦別姓を選択した既婚夫婦が、別姓なのか離婚なのかわかりずらい。そうすると夫婦同姓が普通という考えが抜けない限り、本人たちにとって好ましくない噂が一人歩きしてしまう。制度導入の前にどうやって意識改革を行うかを考えなければ、導入後に不利益を被る人々が出てしまう。
☆家族の一体感がなくなってしまうのではないか不安です。もし、離婚へのハードルが低くなり離婚率が高くなってしまったら子どもが不憫です。
☆名前には、特別の意味がある。自己の存在の証明。それを特別な人と分かち合うことそれ自体に意味があるのではないか。物理的でも精神的でもないつながり、それが夫婦同姓ではないか。夫婦別姓のシステム的な利便性は素晴らしい。それを選択するのも幅が拡がる。しかし、効率を求めてムダを排除し続けた先に余裕はあるのか。選択という曖昧なものに日本の伝統を託していいのかという不安が胸をしめつける。
☆姓を変えることで不利益を被るのは、ごく一部の女性だけであると思う。そして、別姓を選択するのならば結婚する意味がないと私は考える。別姓のまま同棲をすればいい。また、姓を一緒にすることで家族の絆を深め、離婚率を低くすることが可能であると考える。別姓を選択してまで結婚をする必要はないと思う。



大山先生:生徒たちにとって夫婦の姓は身近とは言い難い問題です。しかし、今後の人生において直面する可能性をはらんでいるため、小論文演習でこの問題を扱うことは、論理的思考のための訓練以上の意義があると考えます。この学習を通じて、様々の新聞記事を読み他と意見交換する中で、世間にある論点のほぼ全てを網羅する多様な考察が得られたことが、今回の取り組みを通じて得られた最大の成果です。そして、それが今回の最高裁判決をいずれ覆すような世論のうねりの種となることを密かに期待しています。

――なるほど。大変参考になりました。本日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。


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