第6回 池内了

■著者紹介

 1944年、兵庫県生まれ。京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士(物理学)。国立天文台教授、名古屋大学大学院教授などを経て、総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。
 『科学の限界』『疑似科学入門』『科学の考え方・学び方』など著書多数。

■なぜ、入試に出るのか?

 今回取り上げるのは、池内了(さとる)氏です。

 2011.3.11に東日本大震災が起こりました。それに続く福島第一原発の事故は「人災」の要素が強く、社会に役立つはずの科学が逆に社会に大きな災厄を呼び寄せてしまうという科学技術の持つ二面性を明らかにしました。同時に、「未曾有」「想定外」を連呼する科学者の「無力さ」と「科学の限界」をあらわにしました。
 池内氏は、科学者の一人でありながら、長い間、科学の現状を批判し、科学者・技術者の社会的責任に対して警鐘を鳴らしてきました。東日本大震災の折にも、政府や東京電力の顔色ばかりうかがい、市民に正しい情報を伝えるという社会的責務を果たさない科学者や、ひたすら沈静化を待つという状況を批判し続けました。また、科学がわれわれの感覚やものの見方とどのように関わっているのか、逆にわれわれは科学とどのように付き合い、どう受け入れていくのかについて、さまざまに論述しています。そのうち、入試で問われることの多い「疑似科学」と「科学の限界」について解説します。

「疑似科学」について

 池内氏は、「疑似科学とは、科学的根拠があるかに見せかけながら、実際には科学の要件(実証性、普遍性、論理性)を満たしていないものを指す」と定義し、このことを論じようとした理由について、次のように述べるとともに、3つに分類しています。

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 現代は科学の時代と言われながら多くの非合理がまかり通っている。むろんどんな世の中でも非合理はあり、人間は気まぐれでひねくれていて簡単に心変わりする生物種で、非合理があってもそれを乗り越えて生き残って生きた。また、すべて合理主義で割り切れるわけでもない。(中略)科学を仕事とする人間として、科学を装った非合理に対して黙ってみておられない場面もある。それによって人生を棒に振ったり、財産を失ったり、果ては命を失ったりする人が多いためだ。少しばかり注意することでそんな奈落に落ちずに済めば言うことはないだろう。非合理に気づいて踏みとどまることができれば平穏な生活が送れるのである。疑似科学のカラクリを少しは見抜ける科学者として、世の中に警告を発する役割もあろうかと思う。

第一種疑似科学

 現在当面する難問を解決したい、未来がどうなるか知りたい、そんな人間の心理(欲望)につけ込み、科学的根拠のない言説によって人に暗示を与えるもの。これには、占い系、超能力・超科学系、「疑似」宗教系がある。主として精神世界に関わっているのだが、それが物質世界の商売と化すと危険が生じる。

第二種疑似科学

 科学を援用・乱用・誤用・悪用したもので、科学的装いをしていながらその実態がないもの。物質世界のビジネスと強く結びついている。

①科学的に確立した法則に反しているにもかかわらず、それが正しい主張であるかのように見せかけている言説。永久機関やゲーム脳など。

②科学的根拠が不明であるにもかかわらず、.あたかも根拠があるかのような言説でビジネスの種となっているもの。マイナスイオン、健康食品、アドレナリン、活性酸素など。

③確率や統計を巧みに利用して、ある種の意見が正しいと思わせる言説。見せかけ上の相関関係として安易に結びつけ、事実誤認をさせる方法。

第三種疑似科学

 「複雑系」であるがゆえに科学的に証明しづらい問題について、真の原因の所在を曖昧にする言説。疑似科学と真正科学のグレーゾーンに属するもの。環境問題、電磁波公害、狂牛病、遺伝子組換え作物、地震予知、環境ホルモンなど。今社会的な問題になっていることの多くがこの範疇に入る。
(『疑似科学入門』岩波新書から、一部要約)

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 人々が非合理に惹かれるのは、「心のゆらぎ」があるからです。非合理と分かっていても、知らず知らずのうちに非合理に惹かれてしまうのです。また、占い、超科学などに嵌まる人は、一度信じてしまうとなかなか抜けないという特徴があります。しかし、「ある言説を信じ、それがすべて」になってしまい、他を受け入れようとしない態度に陥らない」(『疑似科学入門』)ことが大切であり、自分で考え、判断し、行動することが重要なのです。
 さらには、疑似科学が、資本主義的理由と結びついて、さまざまな問題が起きています。「科学的に見せかけ、それを権威あるものに保証させ、だからすべてに効能があると自信ありげに語り、それを多数の人が証明する」(『疑似科学入門』)といった手法を用いて、科学的根拠が薄弱のまま、世の中に出回ってビジネスとなっているものがたくさんあります。マイナスイオン、還元水、何の変哲もない健康食品等、テレビCMや新聞広告等で目にしない日はありません。このような疑似科学に陥らないためには、情報の受け取り方を再検討する必要性があります。テレビで言っているから、新聞に載っているからといってそのまま信じ込んだり、有名人が言っているから、みんなが言っているからという理由で信用したりしてしまう態度を見直す必要があるのです。間違った情報ではないかもしれませんが、物事のある一面を切り取ったものにすぎないということを常に意識する必要があります。つまり、懐疑する心を養い、自分で考えること、判断することを忘れないようにしなければなりません。そういう意味で、池内氏の次の警鐘は重要な意味を持っています。また、この考え方は、さまざまな場面で応用できますので、ぜひ参考にしてください。

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 何より私が恐れるのは、非合理を安易に許容することで人間の考える力を失わせているのではないか、ということである。「我思うゆえに我あり」といったデカルトの近代精神がむしろ現代において置き去りにされ、ある言説をひたすら信じる、お上のご託宣を待つ、世の中の大勢に従う、と言うような雰囲気が強くなっているような気がする。考えることは他人に「お任せ」し、自分はそれを信じ拍手を送るだけの態度が蔓延していると感じられる。(中略)情報化の時代になって、かえって世の中が一様化している面も見過ごせない。情報発信の時代と言われながら実態はそうではなく、情報の送り手と受け手の間には大きな非対称性がある。送り手は自分たちに好都合な情報を一方的に流し、受け手は自分の頭で考えることを放棄して鵜呑みにするのが習い性になっている。その結果、偏った情報を何回も聞かされているうちに非合理であろうと信じ込む傾向が強くなった。情報が溢れ出ているかに見える時代、実は真の情報は少なく、パフォーマンスを駆使して世論を操作しているのである。その意味では、「劇場化」と「観客民主主義」が両輪となって均質社会を生み出していると言えるだろう。こういった時代状況にあれば、いっそう信じることではなく考えることの大事さを強調したい。
(『疑似科学入門』岩波新書)
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「科学の限界」について

 科学は人間の思考や認識力に依存した人間的行為です。人間にエラーやミスはつきものだし、自説に固執するあまり、思い込んだり、正当化しようとしたりします。人間が複雑系であるが故の限界があるのです。一方、「社会のための科学」の性格が強まり、福島原発事故の時がそうだったように、国家や経済的利益が優先されるという事態も生じます。また、経済的利益があがる分野に研究が集中し、直結しない分野への研究が疎かになるという傾向が強まっています。社会のための科学であるが故の限界があります。
 そして、一番困難な問題は、「科学のみによっては解決することができない問題で、その解決のためには科学以外の論理を持ち込まなければならない」(『科学の限界』)というトランス・サイエンス(科学を超えた)問題と呼ばれるものです。第三種疑似科学は、ほとんどがこの問題を含んでいます。例えば、原発のように「それによって利益があることは予想されるが、はじめから反倫理性が予想される問題」(『科学の限界』)です。過疎地への押しつけ、作業員への過剰な押しつけ、放射性廃棄物の子孫への押しつけ等をしなければ、原発は成り立ちません。つまり、「利益を受けるものが被害を受けるものに『押しつける』という人間の非対称性が前提となっているのだ。利益と弊害は科学の所産につきるものだが、その弊害が反倫理性にある」(『科学の限界』)のです。では、トランス・サイエンス問題には、どのような論理が有効なのでしょうか。池内氏は、次の3点を挙げています。

1 通時性の論理の回復

 現代では、今を生きている人間の価値や権利を尊重する「共時性」を最重要視しています。しかし、「今」中心主義から脱却して、通時性的思考をし、「未来世代に対する現代人の倫理的責任」を重視していかなければならないのです。「短期的に見て損失はあるが、長期的に見て大いなる利益となる」という視点を持つことが重要なのです。

2 予防措置原則

 このことについて、池内氏は「人間の健康や環境への悪影響や危険性が予想される事柄については、(たとえそれが実際に証明されていなくても)予防的に臨むという原則のことだ。予防的とは、禁止する、小さな基礎実験にとどめる、いつでも止められ現状に引き返せる、安全への手立てを常に準備しておく、などであろうか。問題によって対応は異なるだろうが、おそるおそるにしか進まないという態度である。」(『科学の限界』)と述べています。

3 少数者・弱者・被害者を尊重する論理

 これは「勝者で利益を多く占有する多数派を優先する」という功利主義に反対する立場です。民主主義の必要条件の一つは、個人が責任を持って決定し実践の主体となるということなのです。人々が多数派を形成したいと思うのは、面倒な手続きを省略したいからであり、それは「お任せ民主主義」に堕することを意味します。そして、効率性を優先するために、少数者・弱者・被害者を尊重するような視点からものごとを発想することが少なくなってしまうのです。それによって倫理性を無視し、利己を優先するようになります。このことは、少数者の立場にならなければ気づかないのです。

 池内氏は、「空想じみたことを考えていると思われるかもしれないが、それは倫理的思考の再構築であり、真の民主主義を形成するステップなのではないだろうか。」と述べるとともに、「科学至上主義を抜け出すための重要な論理ではないかと思っている。」と述べ、私たちだけでなく、科学者の心構えにも言及しています。
 このトランス・サイエンス問題は、小林傳司氏『トランス・サイエンスの時代―科学技術と社会をつなぐ』(NTT出版、2004)に詳しく論述されています。ご存じのように、小林氏の文章「科学コミュニケーション」(『科学論の現在』所収、勁草書房2002)は今年のセンター試験の現代文に採用されています。また、小林氏は、鷲田清一氏が設立した大阪大学コミュニケーションデザインセンターの教授として教鞭をとっていました。その影響から鷲田氏は、『しんがりの思想』(角川新書2015)の中で、トランス・サイエンスについて「科学の専門家主義」に関わる問題として論述しています。そう考えると、今後、トランス・サイエンス問題、科学コミュニケーションに関する出題が増えていく可能性があります。池内氏や鷲田氏の著書は比較的簡単に手に入りますので、必ず読んでおくように指導しておきたいところです。

■入試での出題例

1.福岡大学医学部医学科(2016年度・一般入試)

【課題文の内容】出典:『疑似科学入門』(岩波新書)

 偽薬を与えても効き目がある現象を「プラシーボ(偽薬)効果」と言う。効くと信じて飲めば実際に効くように作用するのだ。非科学ではないが、科学として理由と効果の大きさが厳密に洗い出せないために、プラシーボ効果を悪用した疑似科学が流行っている。マイナスイオン、還元水、何の変哲もない健康食品等、科学の専門用語を使い、権威者が太鼓判を押すと実際に効果が出る場合がある。しかし、すべての人間に適用できるわけではないこと、効果が一過性のことが多いことなどの注意点もあり、プラシーボ効果のみに頼るのは危険なのである。
 「ホーソン効果」というのは、ホーソンという町でおこったことで、上位組織から調査が入るという知らせがあると、調査対象の施設では通常以上の効果が上がったのだ。実際には、労働状況や環境条件を改善し、作業員が熱心に働いた結果なのだが、通知さえすれば、すぐれた結果が出るという誤認が起こったのだ。原因と結果だけしか見ないと、原因が結果を導いたように見える。見かけの因果関係と隠れた部分にある真の原因を腑分けしないと、間違った結論を得てしまう可能性があることに注意すべきなのだ。
 プラシーボ効果とホーソン効果が混じると効能がいずれにあったかがわからなくなってしまう。疑似科学の高等手段である。

●設問

 以下は、「プラシーボ効果」と「ホーソン効果」について述べた文章である。これらの効果が、なぜ疑似科学(科学を装った非合理的な言説や考え方)と呼ばれかねない危険性をはらんでいるのか。具体的な例を挙げながら考えるところを600字程度で述べなさい。

〈解説〉

 疑似科学とは「科学を装った非合理な言説や考え方」のことであり、物品の商売に絡む問題が多い。科学的に見せかけ、それを権威あるものに保証させ、だからすべてに効能があると自信ありげに語り、それを多数の人が証明するといった、科学の資本主義的理由を使い、科学的根拠が薄弱のまま、世の中に出回ってビジネスとなっているのである。確かに、原因と結果だけ見るとあたかも因果関係があるように思えるが、科学的根拠の乏しいものが多い。健康食品のCMや広告を見ても、「あくまで個人の感想であり、効能・効果を表すものではありません」と隅の方に、小さく書かれている。
 健康食品やダイエット食品、磁気ネックレス(弱い磁力線が体内にしみ込み身体に影響を及ぼすことはほとんどない)、アルカリイオン水、ゲルマニウム(水に不溶性だからどのような形で溶けているか不明)等の中から、自分の説明できる具体例を選び、販売促進のために、いかに「プラシーボ効果」と「ホーソン効果」を使われ、その結果、疑似科学の危険性を招いているかを説明する。

2.愛媛大学法文学部人文学科(2015年度・一般入試)

【課題文の内容】 出典:『科学と人間の不協和音』(角川oneテーマ21)

 こんな都市伝説がある。ある女性がずぶ濡れになった猫を電子レンジで乾かそうとした。レンジの使用書に猫を電子レンジに入れてはいけないと書かれていなかったという理由で、女性は電気会社を訴えた。説明責任が果たされていないとして製造責任を問うたというものである。
 一般の人々は、電子レンジの原理をうすうすとは知っている。マイクロ波を食品に当てると、食品内部にある水分子に吸収されて熱に変わるから、調理できるのだ。つまり、電子レンジは内部から加熱するという特徴があるのだ。だから普通は猫の身体を乾かそうとは思わない。だから、マニュアルにも猫だけでなく、食品以外の生き物を入れてはいけないとは書かない。しかし、そうで思わない人もいる。そのことをちゃんと記載しなかったのは、製造者の怠慢だと考えるのである。
 この話は、科学・技術に対してまったくの素人がいることを考え、製造者は万全の配慮をしなければならないことを示している。まったく無知な人間を想定すれば、マニュアルは膨大なものになり、誰も読まないことになるとともに、かえって危険性を宣伝してしまうことにもなりかねない。そう考えると、この都市伝説は、意外に重大な問題を孕んでいる。
 科学者にとって当たり前のことが素人には当たり前とは限らない。科学・技術が高度になっていくと、科学者と一般市民との乖離は拡大し、消費者の素人度は高まる一方になる。

●設問

 傍線部「意外に重大な問題」とは何か、わかりやすく説明した上で、この「問題」に対してどのような対策が可能か、その考えを具体的に500字以内で述べなさい。

〈解説〉

 福島の原発事故で専門家がしきりに使った「想定外」という言葉は、原発の設計に地震の強さや津波の高さへの上限が「想定」されていて、それを超える自体となったのだから、自分達には責任がないとの言い訳であった。つまり、すべての人工物には安全基準が設けられていて、その基準はその対策のための経費とか手間とかがあまり過剰にならないような条件を考慮して決められていて、完璧から緩めた妥協をしなければ、技術は現実生活に活かせないのである。
 本来、科学・技術は万全の配慮をしなければならないのだが、そのためには過剰な手間や経費がかかる。そのため、どこかで妥協せざるを得ないのだが、消費者は自己責任を放棄して、お任せの態度を取っている。これが、「意外に重大な問題」なのである。つまり、科学・技術が高度になるにつれ、自分で考えることをせず、受動的な態度、つまりお任せの態度を取るようになってしまい、要求だけして自分は何もしなくなり、自分の責任を棚に上げて他に責任を転嫁するようになっているということである。
 ということは、消費者がお任せの態度をやめ、何事も鵜呑みにせず、当事者意識を持って自分でしっかり考えることが必要なのである。どうしてお任せの態度を取るようになってしまったのか、どのように主体的に考えていけばいいのかを説明し、科学・技術とのつきあい方について述べることが求められている。

■読んでおきたい本

『疑似科学入門』岩波新書、2008

『科学の限界』ちくま新書、2012

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