■著者紹介
1960年静岡県生まれ。明治大学文学部教授。東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻博士課程等を経て現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。
『声に出して読みたい日本語』シリーズ(草思社)、『コミュニケーション力』(岩波新書)、『質問力』(ちくま文庫)など著者多数。
今回は、齋藤孝氏について考えていきます。
齋藤氏は、2001年に『声に出して読みたい日本語』を出版し、150万部を超えるベストセラーになりました(現在は、260万部を超えています)。古典や詩歌等、リズム感や情感に富んだ日本語を、繰り返し声に出して読むことを推奨し、身体に馴染ませることを目指しました。その根底には、言葉に対するリスペクト、日本語に対するリスペクトがあり、国語教育や読書教育の重要性を説き続けています。その関係で、2003年からはじまったNHK、Eテレの「にほんごであそぼ」の総合指導を行っており、現在は情報番組のコメンテーターを務めています。齋藤氏は、コメントについて、「感想や気持ちをただ何となく言う、というのとは違う。自分の認識をはっきりと述べ、その出来事に対する価値判断やこれからの態度表明を明確にする。それがコメントの重みだ。」(『コミュニケーション力』岩波新書・2004)と述べ、さらに、コメントするときの心構えを次のように述べています。
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私は、ある種の学問体系を砦にしてコメントするような構えは、あまり好きではない。専門的用語を振り回して説明した気になってしまい、事柄の本質にその都度素手で切り込んでいく構えが鈍ってしまうからだ。とはいえ、コメントをするための引き出しは多いに越したことはない。心理学を知り、社会学を知り、生物学を知っていけば、ものを見る角度は多くなる。ものの見方プラス学問的な情報を付け加えることができれば、聞く側にとっても有益なコメントとなるにちがいない。(『コミュニケーション力』)
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「ものを見る角度」とは、目の付け所ということです。多角的にものごとを捉え、「たしかにそうだ」と感じさせるコメントをすることが重要なのです。そのために、齋藤氏は、「人と同じことを言うのはやめよう」「人が言いそうなことは言うまい」と心に念じているそうです。このことは、わたしたちが考え方を身につけるのにも重要ですし、小論文を書くときにも役に立ちます。まずは、一般的な、常識的なものを見る目を養うことに努め、そのうえで、自分なりの切り口を身につけていく練習をする必要を感じます。
齋藤氏のコメントもそうですが、文章もとてもわかりやすいものです。それは、わかりやすく伝えるためにはどうすればいいかを常に考えているからです。そのために、言葉を重視し、そして、膨大な文献やさまざまな人の話の中から、具体的な例をたくさん挙げ、わかりやすく説明しています。それ故、入試に出る場合には、文章(主張)を踏まえたうえで、「あなたの経験を挙げて説明しなさい」「具体的に説明しなさい」と、齋藤氏の挙げた具体例とは別の例を挙げながら、根拠を説明することが求められています。主張を支える根拠としての具体例や理由を考える練習をたくさんしておきましょう。
■齋藤孝のここを読め
「学ばなくなった日本人」
明治大学教授として、定点観測のように18歳~22歳程度の学生と関わり続けている中で、齋藤氏は、今の学生は、高校生のように真面目に授業には出席するが、自ら学び、探求しようという姿勢に欠けていると感じています。「学生が学問に燃えているのかといえば、残念ながらそのようなことはありません。彼らの学生としての意識が大きく変わったのです。授業は授業料の対価としてのサービスである、当然サービスを受ける権利はある、権利がある以上そこには行く、というわけです。」(『なぜ日本人は学ばなくなったのか』講談社現代新書・2008)と、若者気質が大きく変化していることを目の当たりにしてきました。つまり、高校時代と同じように受動的な学び方をしているのであり、学問に興味を持ち、自分自身で積極的に知識を得ようとしてはいないのです。その原因について、齋藤氏は、「『リスペクト』という心の習慣を失ったからだ」と述べています。「学び続ける精神や教養への敬意はないし、学ぶべき書籍や教科書の価値もわからない。それに教えてくれる先生への畏敬の念もない。つまり、学びの『仏法僧』にあたる部分へのリスペクトが消え去った時代に突入しているのです」と分析したうえで、「日本人の存在証明であり、拠りどころであった『向学心』の急落」を指摘しています。向学心は、読書に表れます。先日発表になった全国大学生協連の「第53回学生生活実態調査」(2017)では、大学生の1日の読書時間は23.6分であり、1日の読書量がゼロと回答した学生は53.1%と、前年から4ポイント増え、調査開始以来、初めて半数を超えました。この理由ついて、スマートフォンの影響以上に、「高校までの読書習慣が身についていないことの影響が大きい」(浜嶋幸司同志社大学准教授・2018.02.26日本経済新聞)と分析されています。齋藤氏は、「読書とは、自分の中で行う、偉大なる他者との静かな“対話”です。これによって、判断力や粘り強さといったものを身につけることができます。『情報』ではなく『人格』として書物を読む習慣を身につける。平凡なようですが長い目で見たとき、これが現状に対するもっとも根本的な解決法であると思います。」と述べています。齋藤氏が、『声に出して読みたい日本語』や『理想の国語教科書』を出版したのも、できるだけ早い時期からさまざまな日本語の文章を読んでほしかったからです。誰よりも読書を重要視しており、読書力を身につける必要を説いています。
最後に、学ばなくなった若者に、われわれが何をしなければならないのかを示した文章を挙げます。
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人は誰でも、「何かをリスペクトしたい」という気持ちをかならず持っています。現代の若者にしても同様です。ただ彼らは、そういう感情を表に出す経験をせずに育ってしまった。だから勉強もせず、人づきあいも苦手で、お金も覇気もない状態に追い込まれているのです。彼らを批評することは簡単ですが、それでは何の解決にもなりません。“仏法僧”にあたる「学びへのあこがれ」の対象を提示し、彼らのリスペクトの導火線に火をつけてやることが、上の世代の責任ではないでしょうかd。(『なぜ日本人は学ばなくなったのか』)
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「コミュニケーション力」
齊籐氏はコミュニケーションとは、「端的に言って、意味や感情をやりとりする行為である。」(『コミュニケーション力』岩波新書・2004)と言っています。つまり、「一方通行で情報が流れるだけでは、コミュニケーションとは呼ばない。テレビのニュースを見ている行為をコミュニケーションとは言わないだろう。やりとりする相互性があるからこそコミュニケーションといえる。やりとりするのは、主に意味と感情だ。情報伝達=コミュニケーション、というわけではない。情報を伝達するだけでなく、感情を伝え合い分かち合うこともまたコミュニケーションの重要な役割である。」(同)ということなのです。その上で、齋藤氏は理想的なコミュニケーションについて次のように述べています。
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理想的なコミュニケーションとはどういうものか。私は、クリエイティブな関係性だと思う。クリエイティブとは、新しい意味がお互いの間に生まれるということである。(中略)聞き手が発した言葉によって自分が刺激され、新しい意味を見つけ出すことがある。二人で「ああ、そうだったのか、気づかなかったね」と喜び合うような瞬間がある。それがクリエイティブな対話の関係だ。自分の経験を振り返ってみてほしい。対話する前には決して思いつくことのできなかったことを思いついた瞬間があるのではないだろうか。謎が解け、霧が晴れたような快感。脳が活性化し、ワクワクするような気持ち。こうした軽い興奮がクリエイティブな対話にはある。(『コミュニケーション力』)
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こういう関係が生まれるには、人と人との関係が濃密になっていなければなりません。例えば仕事上の関係でも、食事をしたり、一緒にお酒を飲んだりすることで、仕事が円滑に進むというのはよくあることです。それは、ビジネスライクに話を進めていたときには出てこなかった人間性があらわれ、感情がやりとりされ、親密な関係が生まれてきます。その際、相手が本当は何を伝えたいのか、そして何をしたいのかをわかるためには、人間理解力が必要です。齋藤氏は、「コミュニケーションの基礎は、人間理解力である。」と言うくらい、人間理解力を重要視しています。そして、人間理解力を鍛えるために、「文学を読むこと」を推奨し、「何しろ変な人間ばかりがたくさん出てくる。そうした人間のさまざまな癖を知り、心理を理解していく訓練」が必要だと述べています。
さて、齋藤氏のプロフィールを見ると、その専門に「身体論」と出てきます。「身体論」とは「自分たちは身体としてまず存在しており、その身体をフルに働かせることで世界を実際に感じ取っている」(『なぜ日本人は学ばなくなったのか』講談社現代新書・2008)という考え方です。それは、逆に言えば、わたしたちは、身体全体を使って表現しているということでもあります。そこで、齋藤氏は、コミュニケーションを円滑に進めるために、次のように提案しています。
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コミュニケーションを円滑にするための、身体に関する基本原則を四つ立ててみた。目を見る、微笑(ほほえ)む、頷(うなず)く、そして相槌を打つ。話をするときに、この四つを確実にこなすと、かなり会話の雰囲気は温かくなる。(中略)目を見るということは、相手の存在を認めているというサインなのだ。(中略)軽く微笑むことは相手を受け入れているというサインだ。(中略)頷きは「あなたの話をしっかり聞いていますよ」というサインなのである。(中略)典型的な相槌には、たとえば「そうそう」「ああ、なるほど」「ほー」「そうなんですか」「そういえばそうですね」などがある。相手の話に同意する意思を表す言葉だ。(『コミュニケーション力』)
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このように、言葉と言葉のやりとりの基礎には、からだとからだのコミュニケーションがあるのです。つまり、「コミュニケーションの基礎は、温まった動ける身体」が必要ということです。齋藤氏は、「からだとからだが触れ合うことを楽しいと感じるか、苦痛と感じるか。この大きな分かれ目が相手にもわかってしまう。言葉でなんと言って取り繕おうとも、からだが相手と関わることを拒否しているのならば、二人の間の空気は暖まらない。大勢の人間の中でもまれてからだごとコミュニケーションする練習を意識的に積む必要が、近年増してきている。」と述べています。更に、「近年、コミュニケーション力の全体が衰えてきているというわけではない。著しく衰退しているのは、身体次元のコミュニケーションなのである。」と述べ、からだとからだのコミュニケーションを身につけていく重要性を訴えています。
「考えること」
齋藤氏は、「何かものを考えるときに、一番必要なものは何でしょう。問題を瞬く間に整理するシャープな頭脳でしょうか。いつも新しいことをパッと思いつく天才的な感性でしょうか。私が思うに、それは『考えようとしていること』です。目の前にある問題に取り組み、意味を理解し、解決し、答えを出そうとする意欲そのものです。」(『考え方の教室』岩波新書・2015)と述べ、考えること、そして、考えようとする意欲の重要性を強調しています。このブログでも、「考えること」については何度も取り上げましたが、共通するのは、「問題から逃げずに、自ら考えること」ということでした。これから、自らの人生を切り拓いていこうとする若者へ(若者に限ったことではありませんが)、さまざまな著者が共通したメッセージを取り上げているのは、意味深いことです。それだけ、今、考えること、また考える力が不足しているということなのでしょう。さまざまな著者の考えを参考にしながら、考える力を身につけていく必要があります。それは、間違いなく小論文の力にも結びついていくでしょうし、生きる力にもなっていくものです。
さて、考える力の推進力になるものについて、齋藤氏は、「人がものを考えるのは、そこに解決したい問題があるから。変えたい現実があるから。そして現実を変えることによって、誰かが幸せになるからだと思うのです。つまり考えることの動機とは、人を幸せにしたい、この子を喜ばせたい、あの人に何かを伝えたいといったこと」だと述べています。そのために必要なことは、「工夫すること」だと齊籐氏は言います。「『工夫』は〈考え方〉を学ぶプロセスのなかで大変重要な言葉で、工夫することがすべてだと言ってもいいくらいです。〈考える〉というと頭の中でやるイメージが比較的強いのですが、工夫という言葉は実際の動作や作業を意味して、現実のなかに新しいものを創りだしていく精神につながるからです。」と工夫することの重要性を述べています。例えば小論文でも、抽象的な総論は書けても、具体的にどうすればいいのかという各論が書けない場合が多くあります。どのように工夫していけばいいのかと考えることができない生徒が多いのです。現実を変えるためには、社会に寄り添うことが必要です。しかし、そんなに大上段に構えなくても、あの人の喜びのために、幸せのためにと考えることによって、さまざまなアレンジが出てくるはずです。
最後に、齋藤氏のメッセージを挙げて、この項を閉じたいと思います。
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何を楽しみとして、何に充実感を感じて生きていくのか。考える楽しみは、人間が持つ大きな喜びの一つだと思います。考える、工夫することが、思いやりであり、社会貢献であるとも言える。他人を喜ばせたい、幸せにしたいという思いが、ほんのひと工夫で現実にかなうことがあるとなると、強いモチベーションになるでしょう。(『考え方の教室』)
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■入試での出題例
1.山口県立大学・看護栄養学部・看護学科(2017年度・一般入試/後期)
【課題文の内容】出典『コミュニケーション力』(2009・岩波新書)
コミュニケーションとは何かを、座標軸で考えてみる(図1参照)。X軸として「感情」、Y軸として「意味」をとる。Aゾーンは意味と感情の両方がやりとりできているコミュニケーション良好ゾーンである。対照的なDゾーンは、意味も感情もやりとりできていないコミュニケーション不全ゾーン、つまり、コミュニケーションへの意志を完全に失った状態である。
Bゾーンは、感情はやりとりされていないが、情報は交換されているゾーンである。しっかりと意味を共感し合う必要のある場面がここに当たる。仕事の場面では、しっかりとした意味のやりとりが何よりも大事であり、少しの「意味」の取り違えが深刻なもめ事につながる。そのような事態を防ぎ、あるいは修復するためには、コミュニケーション力が必要で、どこがずれているのかということに敏感になることがコミュニケーション力向上の第一歩だ。また失敗を防ぐには、相手の言っている意味を自分で再生して確認するのが最上の方法である。そうすることで、意味のズレをはっきりとさせることはできるが、意味がずれていることが問題なのではなく、ずれていることに気づく感覚が大事なのであり、意味のズレを修正していくプロセスを共に踏むことが重要である。
【問1】
図1の「Cゾーン」とはどのような状態かを例を挙げて100字以内で説明しなさい。
〈解説〉
Cゾーンは、情報は交換されていないが、感情はやりとりされているゾーンである。意味はなくとも、感情が共有できればいい場面である。恋人同士や家族の会話などがこれに相当するだろう。感情を確認しあい、関係を深めることが重要なのである。また、親交を深めるために、食事をしたり、酒を飲んだりする場面での会話もそうだろう。感情のやりとりがされ、人間関係が構築されることによって、仕事がスムースに進む場面は多いのである。
【問2】
本文を踏まえて、あなたが望ましいと考えるコミュニケーションについて、あなた自身の考えを経験を挙げて800字以内で述べなさい。
〈解説〉
筆者は、コミュニケーションは意味(情報)と感情の2つがやりとりされるものであり、この2つがきちんとやりとりされている状態が、コミュニケーション良好の状態だと述べている。Bゾーンでは感情がずれているのであり、Cゾーンでは意味にずれが生じている。自分自身の経験を考えると、BゾーンやCゾーンの状況が多いのではないだろうか。そのようなコミュニケーションの経験を挙げたうえで、どのようにすれば、ずれを防ぎ、意味と感情の両方をうまく伝えていくことができるかを述べるようにしよう。
2.静岡大学・地域創造学類(2016年度・一般入試/後期)
【課題文の内容】出典『なぜ日本人は学ばなくなったのか』(2008・講談社現代新書)
私が情報を発信する立場になって気づいたことがある。かつては、情報を生み出したり、苦労して調べたことを発表したりすること自体が、尊敬される対象だった。しかし、今や情報は一変し、「情報はタダ」という認識が一般化している。それを助長しているのが、検索機能によってタダの情報を自由にセレクトできるインターネットである。言い換えれば、情報の発信者ではなく、ネット利用者のほうが立場的に強者になっているのである。本でいえば、著者は情報提供者、著書は商品として並列的に存在しているだけだ。また、ネット上では、碩学(せきがく)の言葉、アイドルの言葉、街の声、宣伝文句も、すべて並列的に同じ情報として扱われている。世の中全体が水平化、フラット化した社会になりつつあるのだ。しかし、受け手側は、自分に必要なものだけを受け取り、苦手なものには手を出さない。そこでは、「リスペクト」が決定的に欠けているために、自己形成に至るのは難しい。今日のような「検索万能社会」の中で、リスペクトという「精神のコスト」をかけずに得られるものは、“それなり”でしかない。知識や情報には、敬意を払うという構えがあって初めて得られるものがあるのだ。重要なのは、情報そのものではなく、ある対象をリスペクトする、その深浅が自分にとっての情報や言葉の意味・価値を決めていくということである。
【問1】
傍線部①(「今や状況は一変し」)につき、インターネットは情報や情報発信者にどのような変化をもたらしたと著者は述べているか。著者の主張すべてを150字以内でまとめなさい。
〈解説〉
「筆者の主張すべて」とあるので、本文を丹念に読み、インターネットが情報や情報発信者にもたらした変化をまとめる。まず、「情報はタダ」と認識されるようになったことを押さえたうえで、情報にもたらした変化、情報発信者にもたらした変化をまとめよう。
【問2】
ネットから情報や知識を得る場合、具体的にどのようなことをすれば、自分にとってのそれらの意味や価値を高めることができるのか。傍線部②(「ある対象をリスペクトする、その深浅が、自分にとっての情報や言葉の意味・価値を決めていくのです。」)の著者の考えを踏まえて、あなたの考えを600字以内で述べなさい。
〈解説〉
傍線部②は、冒頭部の「かつてなら、情報を生み出したり、苦労して調べたことを発表したりすることは、それ自体が尊敬される対象になりました。」を受けてのものである。しかし、現在は、情報発信者よりも、受け手の方が強者になっており、また、情報自体もすべてがフラット化、つまり、深浅がないのである。そこで、必要になるのは、情報発信者や情報に対して、リスペクト(尊敬)することだと述べているのである。筆者が述べる情報や情報発信者をリスペクトするとはどういうことかを考えながら、まとめるようにしよう。
■読んでおきたい本
『コミュニケーション力』 岩波新書 2008
『なぜ日本人は学ばなくなったのか』 講談社現代新書 2008
『考え方の教室』 岩波新書 2015
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