第1回 養老孟司

■著者紹介

 1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。『形を読む』『解剖学教室へようこそ』などで人体をわかりやすく解説、また『唯脳論』『人間科学』『バカの壁』『養老訓』といった多数の著作では、「身体の喪失」から来る社会の変化について思索を続けている。

■なぜ、入試に出るのか?

 第1回に取り上げるのは、「養老孟司」氏です。

 2003年に出版された『バカの壁』は、400万部を超える大ベストセラー、新書としてはすべての記録を塗り替えました。『バカの壁』という題名は、養老氏の最初の著作『形を読む』からとったものですが、『バカの壁』の内容は養老氏の考えを知る上で、非常に重要になります。少し確認しておきたいと思います。

 養老氏は、「われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。」と述べています。私たちはさまざまな壁に囲まれています。その壁は社会的な要因もありますが、ほとんどは自分自身で立てた壁なのです。私たちは、自分にとって都合のよい情報しか脳に入れず、知りたくないことを遮断してしまいます。この状態が「バカの壁」なのです。「バカの壁」は思考停止の状態を招き、あらゆることに「これは正しい」「当たり前だ」と勝手に思い込んでしまい、壁の内側のみで生き、外側に広がる世界を知ろうとしません。壁の高さや強固さを決めるのは自分自身です。「壁の向こうにある世界を理解するために考えること」、そして「考えるために行動すること」が重要なのです。

 「脳には限界があり、自らの身体を通して学ぶ必要がある」という姿勢は、このあとの養老氏の考え方に共通しています。そして、それは、頭でっかちで、当たり前という殻に閉じこもり、なかなか行動しない傾向にある最近の若者への警鐘でもあります。この辺りが、養老氏の文章が入試小論文に頻出する理由の一つであると思います。

 養老氏の基本的スタンスは、世の中で「正しい」とされているものに対して、立ち止まって考えること、そして、「常識」を疑ってみるというものです。それは、「正しい」とされていることや「常識」を否定するということではありません。ものごとを「本当にそうなのか」と確認することです。ところで、常識を疑うためには、常識を知らなければなりません。養老氏が「常識」を重要視していることは『バカの壁』の中にある、「本来意識というものは共通性を徹底的に追求するものです。その共通性を徹底的に確保するために、言語の論理と文化、伝統がある。」という言葉からもわかります。共通性とは「みんながそうだと思う」ことであり、それが「常識」というものです。そして、常識とは、極言すれば「知識の集積」なのです。つまり、常識を知るためには、「言語の論理」を知ること、文化と伝統を学ぶことが必要というわけです。その上で、ものごとを鵜呑みにせず、「本当にそうなのだろうか」と考える態度が重要になってくるのです。

 養老氏の語り口は、「容赦なく社会を批判する痛快きわまりない養老節」(田島薫氏、アマゾン『バカの壁』商品説明より)、「科学のみならず現代社会そのものを小気味よく明快に斬るもの」(布施英利氏『日本大百科全書』の解説より)などと言われます。しかし、その一方で、「白か黒か」をはっきりせず、双方の立場を示すだけで、「無責任にいうしかない」「言葉にして決めつけるようなものではない」(『身体巡礼』)と述べるように、どちらかというと「灰色」の物言いで、のらりくらりとした印象を受けることが多い著者でもあります。『バカの壁』にしても、決して「バカの壁」を克服する方法が書かれたものではないのです。養老氏の課題文に取り組むとき、養老氏がどのような社会認識・批判を提示しているのか、それはどういう根拠を元にしているのかを他の著者以上にしっかりと読み取る必要があります。また、「白か黒か」はっきりと述べていない場合は、よりどちらの立場に立っているのかを読み解くことが大切です。その上で、自分はどういう立場であるのかを明確にして、意見を述べる必要があるのです。

■入試での出題例

1.活水女子大学・看護学部・看護学科(2015年度・推薦)―――

【課題文の内容】 出典:『「自分」の壁』

 日本人の底流にある価値観は、「要領の良さを尊ぶのとは別なもの」である。「効率よく答えを見つけるのではなく、自分で答えを設定する」といったある種の苦しさ、負荷があった方が生きていることを実感できる。そのためには、自分の「胃袋」(どのくらい苦しさや負荷を背負い込むことのできるかということ)の大きさを知ることが重要である。何らかの壁に当たったとき、器用に要領や才覚で切り抜けることは効率的に思えるかもしれないが、結局は回避しているに過ぎす、自分の壁の中に閉じ籠もっているのと同じである。他人とかかわり、時には面倒を背負い込むことで、自分の「胃袋」の大きさを知ることができるのだ。そうやって、他人とかかわり、時には面倒を背負い込むこと、つまり、なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返して、自分で育てた感覚を「自信」というのだ。

●設問1

 「ゴツゴツしたもの」「胃袋」の意味について、それぞれ100字から150字で説明せよ。

〈解説〉

 両方とも比喩表現である。100字から150字ということは、一言では説明できないものであり、文中にサブタイトルがついているので、その文章の要約と考えてよい。
「ゴツゴツ」の持つイメージから、文中でそのことを説明した部分はどこかを探す。
「胃袋」は何回も繰り返されている言葉なので、重複する内容を説明するとよい。

●設問2

 文章を読んで、あなたの考えを300字から400字で述べよ。

〈解説〉

 筆者の考えは、器用に要領や才覚で切り抜ける生き方より、「効率よく答えを見つけるのではなく、自分で答えを設定する」といったある種の苦しさ、負荷のあるゴツゴツした生き方の方がよく、自信というのは、なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことによって得られるのだということにある。
 現代人が「器用に要領や才覚で切り抜ける生き方」をする具体例を挙げ、そうなった背景を考察し、自分の壁の中に閉じ籠もらず、面倒を背負い込むことになっても、他人と関わっていくことの重要性について、自分の意見を述べる必要がある。

2.学習院大学・文学部・哲学科(2014年度・推薦)―――

【課題文の内容】 出典:『いちばん大事なこと』

 日本は森林が豊かであるが、現代の日本人はそのありがたさに気づいていない。日本は資源の乏しい貧乏国だといわれてきたが、自然の豊かさを見ればその印象は変わるのである。しかし、そうした環境をひたすら破壊してきたのが戦後の半世紀である。
そこで、日本人が自然とつきあう独特の知恵として利用してきた「里山」に注目すべきである。里山とは農家や田畑に囲まれた雑木林のことで、それを維持し、上手に利用するために農家の人たちが「手入れ」を続けてきた。草地に木が生えだしたとき成長にまかせていると照葉樹林になってしまい、日が当たらず、下草も生えず、生物も生育しない。里山では、木の成長に合わせて手を入れることで照葉樹林になることを防いでいる。里山の雑木林が教えてくれるのは、自然は手を入れたほうが、一面では豊かになるということである。戦後手を入れなくなったために照葉樹林化している場所が増えている。昔は日本人と自然のつきあいが密接であり、人間がずいぶん手を入れていたのである。

設問1

 この文章における筆者の考えを要約せよ(400字程度を目安とする)。

〈解説〉

 全文要約と考えてよい。段落ごとに、「自然」「里山」「手入れ」をキーワードに、意見の部分か具体例の部分かを区別しながら読むことが大切である。具体例の部分が多いが、何のための例示かを考え、意見の部分を抜き出しながらまとめていくことが必要である。「400字程度を目安とする」とあるので、400字を超えても問題ないが、できるだけ400字以内でまとめるとよい。

設問2

 筆者の考えについて、あなたはどのように考えるか(600字程度を目安とする)。

〈解説〉

 筆者の考えの中心は、「自然は手を入れたほうが、一面では豊かになる」というところにある。その一方で、人間が手を入れすぎたために、自然破壊をしてきたことも事実である。「手入れ」の意味を説明し、この考えがこれからの環境問題を解決していくのには重要であることを踏まえつつ、日本人の自然とのつきあい方について述べる必要がある。「600字程度を目安とする」とあるので、600字を超えても問題ないが、できるだけ600字以内でまとめるとよい。

■読んでおきたい本

『バカの壁』新潮新書、2003

『「自分」の壁』新潮新書、2014

『いちばん大事なこと 養老教授の環境論』集英社新書、2003

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