担当者のつぶやき ボランティア

こんにちは。担当者Uです。

最近、電車やバスで長靴を持った人をちょくちょく見かけます。
おそらく、土砂災害の現場へボランティアへ行かれる方なのだと思います。
テレビのニュースでも、今日は○○人ボランティアの人が駆け付けた!ということが報じられています。



ボランティアって、やりたいけど何をしたらいいかわからない…という方も多いのではないでしょうか。
確かに、何の準備もせず、何をすればよいかもよくわからずに行動しても、現地で迷惑をかけてしまうだけ、ということになるかもしれません。
しかし、こうしたサイトがきちんと用意されているんですね。

広島市災害ボランティア本部

予約は必要か、何を持って行けばよいか、どんなことをするのか、等が詳しく書かれています。
現場はどのような状況か、が動画でも紹介されていました。
これならボランティア初心者の方でも参加しやすいですね☆



…さて、ここでいつものように小論文に話題を変えます。
「被災地をどう支援するか」「ボランティアを増やすにはどうするか」といった問いの答えを考えるとき、どうしても


「一人一人の心がけが大事」


といったような精神論を書いてしまいませんか?
確かにそれは本当のことでしょうが、では、さらに「一人一人の心がけをどう改善していくの?」と考えてみると、それはとても難しいことのように思えてしまいます。


例えば、
「交差点での重大な交通事故を減らすにはどうすればいいか?」
という問題があったとします。
これも「ドライバー一人一人が事故はいけない、と思って注意して運転すべきだ」と答えられたら、問題を出した人は「で、ドライバーの心を変えるにはどうすればいいの…?それがわからないと解決策って言えなくない?」と思ってしまうでしょう。
それよりは、「車がスピードを出して突っ込めないような交差点に変えてしまう」と答える方が、よっぽど具体的で、効果が高そうに思えてきます。
(参考:Wikipedia「ラウンドアバウト:安全性」
もちろん、交差点の形を変えるというのは非常に大がかりなことで、それに伴う細かな別の問題は出てくるのですが、それでも「重大な交通事故を減らす方法」としてはものすごく具体的で、説得力のある答えと言えそうです。


「一人一人の心がけが大事」というのは、誰もが否定できない、魔法の主張ではあります。
しかし、「どうやって心を変えるの?」と突っ込まれたとき、その具体的方法まで言えないと、小論文では「説得力がない」とみなされてしまうことが多いように思います。
「一人一人の心がけ」と書く前に、「それは本当に実現できるのか?」「実現するにはどんな方法が考えられるのか?」まで書けるかどうかをよく考えてみましょうね。

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